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【2017年3月25日】 髙橋明紀代の取材ノートから その1

■髙橋の取材ノートから

私が社史や創業者伝を手伝うようになってから約20年になります。その中で、多くの方にインタビューをさせていただきました。
やがて、近年特にお話をうかがった創業者の中から、ご高齢のためにお亡くなりになる経営者がおふたり出て来ました。

ひとりは東静運送株式会社(本社三島市)の前会長であった鈴木敏夫氏です。

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■東静運送株式会社

http://www.tosei-unso.co.jp/

鈴木会長は、2004年4月創業者伝『念ずれば 現ずる』を出版される頃には、会社の実務を鈴木正二現会長などに任されるようになりました。しかし、ご本人はお元気で毎日出勤され、近年まで会社の事業を見守っていらっしゃいました。

そして、昨年2016年3月満100歳でお亡くなりになられました。大往生でした。


 

 

もうひとりは株式会社マツイフーズ(本社新潟市)の会長であった松井幸次郎氏です。

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■株式会社マツイフーズ

http://www.matsui-foods.co.jp/company/index.html

松井会長は創業者伝『しあわせを願いつつ、牛の歩みのごとく』を2009年1月出版されました。松井会長も近年まで会社の主要なイベントに参加されるなどお元気でしたが、ことし1月に亡くなられました。享年93歳でした。


 

 

■復員後、戦後の地元で創業し、地域経済発展に寄与

創業者伝を編纂するために、私はお二人それぞれにお話をうかがう時期は異なったのですが、インタビューは、1回が約2時間程度でほぼ1ヵ月に2回、約10ヵ月間から1年間以上続きました。

お二人の共通点は、太平洋戦争で召集された経験をお持ちだったこと。また、復員後の郷里で若くして、希望に満ちて、自分の腕一本で商売をはじめたことです。


鈴木会長は創業後、会社は順調な成長軌道を歩みはじめました。しかし、やがて労使問題や咲子夫人の長い闘病生活、後継者問題など、公私ともに厳しい試練に遭遇していきました。

もうおひとりの松井会長は復員後結婚します。仕事は父上の指導をうけながら、農村地帯で必要とされていた農耕馬の販売に乗り出しました。しかし、従軍時代の肺の病気が悪化して、一年間自宅療養送るという辛いスタートとなりました。

さいわい病気から回復しますが、しばらくすると農家で農耕用の牛や馬に替わってトラクターが導入される大きな変化の波がやってきました。そこで、松井会長は農耕馬の販売から食肉関係へ事業の転換という大きな決断をすることになりました。

 

お二人は創業の早い時期に、いくつもの厳しい試練に遭遇したにも関わらず、それらの試練を真摯に受けとめ、粘り強く解決の糸口を探り、一つずつ乗り越えていかれた結果、今日の会社の基盤を築き上げられました。

お二人の生きた時代は、戦後日本が焼け跡の復興から高度成長へ向かう日本が最も活気が溢れていた時代と重なります。業種は異なりますが、お二人は地域で起業し、お客様からの信頼を得て事業を成長させていきました。お二人の生涯は地域の戦後史を生き抜かれた企業家として、生き証人でもあったのです。

お話をうかがえばうかがうほど、こういう方たちが食べ物や物資が乏しかったあの戦後日本で、懸命に働き事業を通じて地域の人たちを雇用し、お得意先の要望に応えて、事業基盤を固めていきました。そして、その足跡は地域経済の貢献であると共に、日本経済の高度成長の一端を担ったことに結実しているのです。

仕事という枠を超えて、お二人から数々の貴重な体験をうかがえたことは、私にとってほんとうにしあわせなことであったと、改めて、いまもその幸運を噛みしめています。

 

お二人の貴重な思い出や興味深いエピソードの多くを、上記の創業者伝に収録させていただいています。

ここにお二人を追悼して、創業者伝の中から特に印象的だったエピソードをここに紹介します。


■【追悼1】

■『念ずれば 現ずる』の著者 東静運送(株)鈴木敏夫前会長

 

■連合艦隊旗艦「陸奥」に配属
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『念ずれば 現ずる』鈴木敏夫会長著

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交通栄誉章緑十字金賞 表彰状・同金章・鈴木敏夫会長受章

鈴木前会長は、農学校を卒業後、家で農作業を手伝っていましたが、難関の旧国鉄(いまのJR)の試験に合格し、機関助手として勤務につきました。やがて1936(昭和12)年20歳で徴兵され、横須賀海兵団へ機関兵として入団し、新兵教育後に戦艦陸奥に配属されました。(以下、鈴木前会長は当時の役職名の鈴木会長と表記)

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鉄道試験の合格

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機関車の前で

■戦艦陸奥での猛訓練を受ける兵士の唯一の楽しみは、ガリ版刷りの『むつ新聞』

鹿児島の志布志湾沖で、月月火水木金金と連日猛訓練に励む日々でしたが、一方艦内にはガリ版刷りで、イラストも入っている『むつ新聞』が毎日発行されていました。
そこには、新たに造られた駆逐艦不知火の進水や、戦争の様子だけでなく、兵士の故郷の便りやエッセー、「国防献金の歌」などが掲載されていて、兵士はこの新聞を待ち遠しい貴重な情報として、とても楽しみに読んでいただろうと想像させます。

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むつ新聞 旗艦「陸奥」艦内で毎日発行されていた機関誌

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旗艦陸奥

■一兵士で終わりたくないと、自動車運転免許証を取得

鈴木会長は陸奥が予備艦になる時、一日も早く鉄道へ復したいと考え、義務年限のつかない自動車講習をやろうと申請し受理され横須賀海軍航空隊で自動車講習を受けて、四ヵ月の猛訓練の後みごとに合格しました。青森県大湊の通信隊へ配属され二年半いてスキーも習いました。

その時は想像もしなかったわけですが、これが後に、戦後帰還して沼津で運送業として独立することにつながりました。

■海南島ではマラリアにもかからず、負傷もせずに帰還

やがて、鈴木会長は1941(昭和16)年10月横須賀第四特別陸戦隊に配属となり、日本軍が進駐した海南島に赴任しました。
当時の海南島は、蒋介石が主な地域を支配していましたが、その他には毛沢東の共産軍、それにゲリラ(土匪)が陣取っていたそうです。5年間の海南島の勤務に服した鈴木会長は、戦友の多くがかかったマラリアを免れ、負傷もせずに健康で過ごすという強運の持ち主でした。

■国鉄に復職するが、過剰人員や組織に違和感を持ち、希望退職

1945(昭和20)年日本は敗戦となり、翌1946(昭和21)年、海南島での接収作業を終えて復員し、すぐ結婚した鈴木会長は、召集前の職場の国鉄(いまのJR)への復職にあたってまず機関士科へ行き、その年に試験を受け合格しました。
鈴木会長は国鉄の教習所に出向くと、そこの教官は戦争に行かなかった鈴木会長の後輩でした。鈴木会長はSL機関士の仕事にとても誇りを持っていたのですが、こういう状況について考えるところがあったのです。
また国鉄では、満鉄などの職員が続々国内に引き上げてきたこともあって、過剰人員整理のため、1952(昭和27)年第1次希望退職者募集が行われました。

■独立し小型貨物自動車運送事業をスタート

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鈴木会長は、この国鉄の退職者募集に応じ、独立してトラック輸送の仕事を始めたいと申し出たのです。
その中で、事業家で夫人の実父が唯ひとり「思い切ってやってみろ」と背中を押してくれました。
その時鈴木会長は「将来は必ず鉄道にいる同僚たちと対等の話ができるような立場になるぞ」と強い決意を抱いたそうです。こうして、鈴木会長は退職金で三輪車一台を購入し独立しました。
1958(昭和33)年一般小型貨物運送事業の免許を取得し、事業が拡大していきます。さらに地元の運送会社と共に静岡県東部貨物協同組合を結成し、外部からコンサルタントを招いて、計数管理や人材育成、組織づくりを学んで行きました。

■組合運動や夫人の闘病生活、後継者問題と次々に大きな試練に遭遇

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事業が拡大していく中で、鈴木会長は外部からの働きかけにより組合運動が発生し、咲子夫人が病魔に倒れるという試練に遭遇します。また鈴木会長の長男が後継者になる予定で会社に勤務していました。

しかし、長男の後継者としての先行きに大きな影が差してきました。このような大きな試練を、鈴木会長がどう乗り越えていったか。鈴木会長は『念ずれば 現ずる』の中で、非常に率直かつ客観的に述べています。ここが本書の読みどころのひとつであると私は思っています。

やがて、鈴木会長は次男の鈴木正二氏に社長を継承し自らは会長に就任して、運輸業から倉庫事業にも進出し、安定した経営を推進していきました。

鈴木会長は長年にわたる運輸倉庫業界のための功績が評価されて、1994(平成6)年「運輸大臣表彰」を、1999(平成11)年『交通栄誉章「緑十字金賞」』を、続いて2004(平成16)年交通安全活動の推進に寄与したことにより「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)」を受章されました。

 

藍綬褒章受章

2004年 藍綬褒章受章

 

藍綬褒章記念式典

藍綬褒章受章 記念式典・祝賀会で、鈴木会長を囲んで会社の役員・社員

 

記念式典会場に展示された鈴木会長著『念ずれば現ずる』

記念式典会場に展示された鈴木会長著『念ずれば 現ずる』

希望に応じて『念ずれば現ずる』にサインする鈴木会長

『念ずれば 現ずる』にサインする鈴木会長

 

 

2004(平成16)年鈴木会長は米寿(八十八歳)を迎えられ、2009(平成21)年に同社は、創業五十周年を迎えたのです。

2000(平成12)年_鈴木会長米寿_八十八歳(年男の祝い)

2000(平成12)年、米寿(八十八歳)を迎え、
三嶋大社にて、年男の装束をした鈴木会長

 

鈴木会長の企業家としての前半を駆け足で述べましたが、鈴木会長が独立の際、国鉄の同僚に肩を並べられる人物になろうという秘めた決意はここにみごとに結実したのです。鈴木会長は創業者伝に自ら『念ずれば 現ずる』というタイトルをつけられた意味は、この鈴木会長の思いを表していると思われます。

こころからご冥福をお祈りもうしあげます。

追悼 その2 松井幸次郎氏に続く

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