4. 基地の町羽田で米兵を相手にする級友の姉

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思い出の町 羽田(1948〜1954年頃)
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羽田には飛行場があり米軍の基地のひとつで、町にはアメリカ兵が歩く姿は珍しくなかったことは既に述べた。隣町の萩中や本羽田に設置されたかまぼこ兵舎から羽田の町までは大人の足なら5~6分という近距離で、かまぼこ兵舎から米兵が羽田に来るのはかんたんなことであった。

小学校2年の頃だったろう。級友のYさんという女の子から家に遊びに来てと誘われた。わが家の傍に戦前から建っていたという古い崩れそうなモルタルの2階建てアパートがあって、その1室がYさんの住まいであった。その部屋に入ると、きれいなお化粧をし、ゆったりしたボリュームのあるみたこともないヘアスタイルで、爪を真っ赤に染めた大人の女性がいた。Yさんのお姉さんだという。かなり年配の小柄な母親らしい人もいた。

帰り際そのお姉さんは、私にとてもよい香りのする赤くて透明な石鹸をくれた。私は見たことのない新品の美しい石鹸をもらって、うれしくなってしまった。帰宅して母にYさんの家に行ったことを話し、もらった石鹸を見せると、母は顔をしかめた。「今後、Yさんの家には行ってはだめ」という。私が「どうして」とたずねても、納得できるような説明はなかった。その後、私はYさんの家に行った記憶はない。

やがて、Yさんのお姉さんはアメリカ兵を相手にするパンパンだと聞いた。誰から聞いたのかはっきりしないが、多分クラスの子どもがそう言っていたのだろう。それまでは私は、Yさんに対して向けられていたお姉さんの悪口に気づかなかったのだ。やがてYさんがクラスの子ども達からお姉さんのことでいじめられていたことに気づいた。Yさんはお父さんが戦死して、お姉さんがやむを得ずこういう職に就いたのであろう。また、私は羽田にはYさんのお姉さんのような女性がいることに気づいた。母が、羽田というところは子どもを育てるによくないと言っていたのは、この点もあったに違いない。

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