2. 一日中夕飯まで外で遊び回った子ども達

私達は、近所の友だちといろいろな遊びを楽しんだ。男の子が夢中になったベーゴマもその一つであった。小さな鋳物で出来ていたベーゴマをズックのような固い布の上で、勢いよく回して相手のベーゴマをはじきとばすと勝ち。ベーゴマの角度が鋭角の方がよく回り、相手のベーゴマをとばす勢いが出る。新一郎は父に頼んでよく工場のグラインダーでベーゴマを削ってもらっていた。新一郎は体格が小さいので、他の遊びでは友達に負けてしまうことが多かったが、この特殊な加工をしたベーゴマでは相手を負かすことが多かった。

女の子はゴム跳びをした。狭い路地に水平にゴムを張って、飛び越える遊びだ。だんだんゴムの高さを上げていく。私は小柄で体重も軽かったから、ゴム跳びは得意な遊びで、かなりの高さを飛べた。

冬は寒いので、建物の板壁や塀に子ども達が身体をくっつけて押し合い、へし合いをする「押しくらまんじゅう」という遊びに熱中した。これを10分も続けると、子ども達は身体がぽかぽかしてくる。人気があったのは馬乗りである。子ども達は身体をかがめて前の子の股に首を突っ込む。こうして4〜5人の子がつながっている上を、違う子どもが走りながら跳んで、どこまで奥の子どものところに跳び乗ることができるかを競う。この遊びでは、主に男の子が多かったが、私や活発な女児も仲間にはいって楽しんだ。

夏は、水辺でべたべたするとりもちを棹に巻き付けて、裸足でトンボを追いかけた。オニヤンマやギンヤンマを捕まえた子どもは、皆からすごいと尊敬された。

缶蹴りも人気が高い遊びであった。空き地があちこちにあったので、4~5人集まるとすぐ缶蹴りになった。わが家もそうだが、きょうだいが4~5人という家は珍しくなかったので、年齢の幼い子も混ぜてもらって遊ぶのがふつうであった。中には小さい子を背負って缶蹴りをしている女の子もいた。

町には紙芝居もやって来た。最初は「黄金バット」をやる年配のおじさんが毎日やって来た。おじさんは拍子木を鳴らしながら、町内を触れ回る。子どもは水飴などを買って、自転車の荷台に乗った乗った紙芝居を観る。中には水飴などを買えない子どもいた。彼らは前に並んだ子から少し離れて後ろの方で、紙芝居を観ていた。おじさんはそういう子どもを追い払うことはなく、容認していた。やがて、「黄金バット」のおじさんに替わって、「孫悟空」のおじさんがやってきた。私は、おじさんに替わって拍子木を持って、紙芝居が来たよと町の中をまわって歩くほど、おじさんと仲良しになったこともある。

学校に行くようになっても、子どもたちは学校から帰ると、すぐ遊びに飛び出した。そして、夕方母親が呼びに来て「ごはんだからもう家に戻りなさい」と言われ、暗くなるまで遊び続けるのがふつうであった。

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