3. 家族や住み込みの従業員の食事づくりに追われる母

住み込みで働く人たちの三度三度の食事づくりは、母とお手伝いさんの重要な仕事なのだが、食欲を満たせるだけの食糧が手に入らないのが大問題であった。米は米穀通帳による配給制度であった。店は開いていたが品物が少なく魚も配給だったと思う。ある時、母は鮭の切り身が一人に半分の割り当てだと嘆いていた。
一方、闇市では高い食品が出回っていたらしい。しかし、多くの家庭ではいつも闇市で食品を買うわけにはいかない。東京の多くの家庭は、千葉や埼玉の農家に出向いて、衣類などと米や野菜とを交換せざるを得なかった。いわゆるたけのこ生活である。

しかも、その帰りには、上野や赤羽、秋葉原などのターミナル駅で食糧警察が待ち構えていて、せっかく手に入れたヤミ米を警官に全部を召し上げられてしまうのは日常茶飯事であった。

わが家には山形の父の実家からよく米や野菜が送られて来た。しかし、届いた木箱を開けると、米だけは完全に食糧警察に抜き取られていた。母はその都度「またやられた」と嘆いていた。

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