4. 外米が喉を通らず、叱られる

この頃食べ物の記憶で、私がもっとも印象強いのは外米を食べた経験である。わが家にも配給の外米があり、母は外米に白米を混ぜて炊いていた。調べてはいないが、多分白米の量が少なかったのではないか。

私は東京に来る前、芦沢でおいしい庄内米を毎日食べて育った。庄内米のごはんはねばりがあって、独特の甘味と良い香りがする。ところが、上京して間もなく出されたごはんは、赤い斑点がついている外米が混ざっていて驚いた。

私には芦沢で食べていたごはんとは似ても似つかない味がした。箸でつかもうとすると、ボロボロとひざにこぼれてしまう。口に運ぶと、それまで食べていたごはんとはまったく違うクセのある匂いがした。噛むと粘りけがなく、芯がある舌触りであった。懸命に食べようとするが、違和感が強くてごはんは喉を通らない。私の様子に気づいた父は、私に「ごはんがこぼれている。ちゃんと食べろ」と叱った。私はこぼれたごはんを拾い、何とかして食べようとしたが、妹や叔父たちの前で叱られたこともあって、情けなくなって涙が出てきた。

後に30代でインドに行ったとき、カレーにインディカ米のごはんが添えられていた。口にすると、子どもの頃食べた外米の味と舌触りがよみがえって来て、残してしまった。その時、特にごはんのような主食の味覚は、敏感な子どもの頃に形成されるのだと思った。そして、食糧難なこの時代、大人も子どももごはんこそもっとも重要な食べ物であった。そういう食の原点であるごはんは、私にとってはいまも疎開していた時食べたおいしい庄内米なのだ。

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