8. 隣の畳屋さん一家と、親戚以上のつきあい

夜になると、わが家には時々隣の杉本畳店のおじさんがやって来て、父と夜遅くまで飲むことが多かった。父は酒好きだったが、外に飲み行くタイプでは無く、家で飲むのが好きだった。食料が十分でない頃だから、母は酒の肴の用意もたいへんだったと思う。畳屋の杉本さんと仕事が違うのだが、父も職人気質だったから二人はどこか気が合ったのだろう。

杉本さんとわが家は、親戚以上の親しいつき合いをしていた。私は、杉本おじさんがいつも玄関先であぐらをかいて、熱心に作業をしている姿をみるのを好きだった。ある夏のこと、おじさんは手ぬぐいのねじり鉢巻きをして、諸肌を脱いで作業をしていた。そして、その背中にいっぱいに青い入れ墨が彫られているのをみて、目を見張った。この目で直に入れ墨をみたのははじめてのことだった。ところどころ赤い色もあり、大きな花柄も彫られていたかもしれない。杉本おじさんは小柄でおとなしい雰囲気の人でだったから、ふだん知らなかったおじさんの一面をみた気がした。

杉本さんの家にはオカミさんとお祖母さん、私より1歳上の長男と下に二人の男児が暮らしていた。弟新一郎と同年齢だった次男は、とてもわんぱくで、オカミさんの言うことを聞かず、いつも叱られていた。ある時、あまり言うことを聞かない次男は、おじさんに抱きかかえられ、井戸の中に頭を突っ込まれそうなお仕置きをされたことがあった。

泣き叫ぶ次男の声を聞いた母がかけつけて、次男をわが家に連れて来た。しばらくして次男は私達と一緒に夕食を食べて帰って行った。それ以来、次男はしょっちゅうわが家にやって来て、一緒に食事をするようになった。時には泊まっていったこともあった。母は、いつも10人以上の食事作りをしていたから、隣の子どもが一人増えても、どうということは無かった。また、子どもの私達にも、活発なこの次男が同席する食卓は、にぎやかでうれしかった。

杉本おじさんは稲荷信仰に厚く、住まいの奥に小さなお稲荷さんを祀っていた。そして、杉本おじさんは毎朝井戸で顔を洗うと、東の方に向かって柏手をうっていた。オカミさんは毎朝お稲荷さんの掃除をしお灯明をあげ、ご飯を供えていた。
このお稲荷さんでは忘れられない想い出がある。私の住まいの便所の窓からこのお稲荷さんがよくみえた。夜中便所にいくと、お稲荷さんの狐がこっちをみているような気がして、私はとても怖い思いをしながら便所に行った。

もう少し成長した頃、私はラジオで落語を聞くようになった。当時私が落語の内容をよく理解出来たとは思わないが、落語に度々登場する職人噺に、親しみを覚えたのは、杉本一家の暮らしがみじかにあったことも関係していると思う。

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