1. 父が腕のよい職人で勤め人であったので、結婚を決めた母

髙橋新六・直子
高橋新六・直子

私の父高橋新六は、戦前(蒲田区)羽田にあった荏原製作所(2010年千葉県富津市に移転)の旋盤職人であった。当時大手製造業では、作業組織は「組」を編成していて、父は荏原製作所でその組のひとつに所属していたようだ。腕がよいと評価されていたのであろう、給料は同年代の職人と比べかなりよい方だったと父から聞いている。

母小石川直子は新潟県柏崎市内の女学校を卒業すると、すでに結婚し東京で暮らしていた長兄や三人の姉たちを頼って上京し、昼は事務員として勤務し、あいた時間は筆耕などで収入を得て暮らしていた。

やがて、母は五人姉妹の三番目の姉小島貞子の知人小林氏から父を紹介され、見合いをして二人は一九三七(昭和十二)年六月二十四日結婚した。父は二十四歳母は二十三歳、婚姻届は戦前の東京都荏原区長となっている。新居は父の勤務先に近い大井町など現在の品川区の南部であったと思われる。

小石川直子と小石川家
花嫁姿の小石川直子と小石川家の人々

余談だが、結婚の前年一九三六(昭和十一)年二月二十六日のこと。母は大雪の降りしきる中、仕事で有楽町から桜田門付近を歩いていると、軍のトラックが道路沿いに並び、緊張した軍人が立って通行人に有楽町駅に引き返せと命じているのに遭遇し驚いた。それが、やがて二二六事件のことだと分かったのは、自宅に戻ってラジオを聞いてからであったという。社会は軍事色が強まっていく時代に向かっていた。

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