5. 疎開先の芦沢に落ちつき、山羊の乳で命拾いした長男

柏崎の祖父の家を訪れた父は、母が尾花沢に向かったと聞いて、すぐ尾花沢にとって返した。そして、父は長兄高橋碧の長男喜代治の協力で、尾花沢からかなり奥に入った芦沢という原野に土地をみつけ、そこに小屋を建てた。
 
ここには、すでに中国戦線に行った父の弟幸次郎の妻キミ叔母といとこ勝治が同居することになった。

髙橋幸次郎・キミの結婚式
髙橋幸次郎・キミの結婚式

それ以前幸次郎叔父はキミと結婚し、妹と同じ年齢の勝治が誕生していた。そこで、父は幸次郎の留守を守るキミ親子を自分の家族と一緒に暮らすように呼び寄せたのである。

柏崎で医師に生きられないかもと言われた新一郎は、疎開先芦沢の近所の農家から山羊の乳をもらって、じょじょに体力を戻した。同年齢の子どもよりはかなり小さかったが、やっと母が安心できる状態に落ちついた。

母はキミ叔母と小屋の前の畑で、春から秋にはかんたんな野菜を作っていた。冬は一メートルを超す豪雪地帯で、外に出ることはむずかしかった。

この小屋の五十メートル先に製材所があって、木材の加工をしていた。雪が積もったある冬の夜、この製材所で火事があった。母は腰まで積もる雪の中重たい木の桶に水を入れて、雪の中を転びそうになりながら、消火に向かった。多分、父は東京へ行って留守だった。この小屋の窓にはガラスはなく障子張りであったため、製材所の火炎が雪に反射し、障子まで赤く染めたという。留守を守る母の若い頃の武勇伝である。

« 前へ戻る   » 続きを読む