6. 次男は元気な子で、母はようやく穏やかな生活に

すでに触れたが、一九四六年八月母は尾花沢市の産院で第四子の隆男を出産した。隆男は新一郎とは違って体格もよく元気な男子であった。この疎開先では、空襲や食料の心配もなく、近隣の農家の人たちは東京から来た私たちにいろいろ親切にしてくれたようだ。母はやっと落ちついて育児に専念できるようになった。母はこのころが穏やかで充実した生活だったと、よい思い出として語っていた。

父が東京から帰ると、おみやげの中に、塗りの重箱いっぱいに入ったイカの塩からが入っていた。芦沢のわが家では、おいしい荘内米が三度三度食卓に載っていた。イカの塩からの汁をつけて食べるごはんは、私にはそれまで食べたことのないごちそうであった。

この小屋からかなり離れた奥地に炭坑があって、朝夕決まった時間に炭坑に勤務する男達を乗せたトラックがそばの県道を走っていった。私は朝晩その県道沿いにしゃがみ込んで、このトラックが通り過ぎるのを待っていた。それが、私が家族以外の人たちと接する唯一の機会であった。

原野に一軒ぽつんと建っていたこの小屋の暮らしを物語るにふさわしいエピソードがある。ある時、大きな蛇が入り込んでいると、母と叔母が大騒ぎをしながら棒きれで追い出していたことをかすかに覚えている。

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