Category Archives: 2章 柏崎から芦沢(山形)へ疎開。そして、終戦直後焼け跡の東京で工場再開へ

10. 上野駅では、見るもの聞くものすべてはじめて、驚きの連続

終戦となり、幸次郎叔父が中国の戦地から帰還してきた。ある雪の降る中、軍隊帽に長い… Continue reading

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9. 疎開先からの機械の運送は牛車で

話を戻すと、父は一刻も早い工場再開を決意し、機械類を東京へ運ぶことになった。多分… Continue reading

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8. 終戦直後、父は再開のための工場をようやく確保

父は一九四五(昭和)年八月戦争終結を聞いて、すぐ工場再開を決意した。戦争の終結で… Continue reading

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7. 機械を疎開させ、工場再開を期していた父

すでに述べたとおり、父はいったん尾花沢の実家に機械類を保管してもらっていた機械類… Continue reading

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6. 次男は元気な子で、母はようやく穏やかな生活に

すでに触れたが、一九四六年八月母は尾花沢市の産院で第四子の隆男を出産した。隆男は… Continue reading

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5. 疎開先の芦沢に落ちつき、山羊の乳で命拾いした長男

柏崎の祖父の家を訪れた父は、母が尾花沢に向かったと聞いて、すぐ尾花沢にとって返し… Continue reading

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4. 母は子ども三人を連れて、父の故郷尾花沢に向かう

一九四五(昭和二十)年五月から新潟市に空襲が始まった。母は生まれて五ヵ月の病弱の… Continue reading

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3. 父に無断で、母は子どもを連れて故郷柏崎に疎開

父は母に疎開先を探しているのでもう少し待つようにと言ったが、母ははっきりしない状… Continue reading

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2. 工場を東芝に売却し大金を入手。機械を故郷に疎開

約七年前、私は父方の兄弟高橋富夫に会って、当時の父のことをかなり聞くことができた… Continue reading

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1. 召集された父は、なぜか戦争に行かなかった

父は軍隊に召集されたが、なぜか軍の入隊検査で帰されたと母から聞いていた。母は「お… Continue reading

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