Category Archives: 4章 戦後の羽田は船に乗る職業人が暮らす町であった

10. 夏祭りに学校を休ませる漁師の家に、級友を迎えにいく

当時多くいた漁業などに従事している土地の人は、羽田弁といわれる特有の訛の強いアク… Continue reading

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9. 芝居小屋「いさみ座」でチャンバラや水芸を楽しむ

いまの京急空港線はこの頃穴守線と呼ばれた単線であった。また穴守稲荷駅は稲荷橋とい… Continue reading

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8. 子供会ではじめて賛美歌を習う

私の家から5〜6分の距離の羽田小学校の裏の町内会で、子供会を開いていた二人の青年… Continue reading

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7. 浅草海苔の本場であった羽田は養殖海苔の産地

明紀代7歳の時、七五三(きものは母が古着屋で買ってきた) 家の近くに六間堀という… Continue reading

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6. 漁業や砂利採取の人が働く町でにぎやか町であった。

羽田は、かなり古い時代から多摩川の上流に大雨が降ると、川下にはたくさん砂利や石を… Continue reading

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5. 子だくさんの朝鮮部落の家へ、どぶろくを買いに行かされた

わが家から数分のところに、数軒の朝鮮家族が暮らしていて、周囲から彼らは朝鮮部落と… Continue reading

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4. 基地の町羽田で米兵を相手にする級友の姉

思い出の町 羽田(1948〜1954年頃) *図をクリックすると拡大画像が見られ… Continue reading

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3. 物乞い幼い姉妹がやって来た

しかし、まだ羽田の町には戦争の傷跡から立ち上がれない人達も少なくなかった。そして… Continue reading

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2. 一日中夕飯まで外で遊び回った子ども達

私達は、近所の友だちといろいろな遊びを楽しんだ。男の子が夢中になったベーゴマもそ… Continue reading

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1. わが家では仕事も増え従業員も増えて、子どもたちも順調に成長していた

お正月でおもちゃを買ってくれた十吉叔父と4人の子ども (左から隆男、新一郎、祐子… Continue reading

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