母ごころ 明治・大正・昭和・平成の世を生き抜いた『私の生涯』

hahagokoro

鈴木千代様著 鈴木正光様発行

2006.4刊 A5判 129ページ

明治・大正・昭和・平成と激動の日本を生き抜いた、いま95才の女性の生涯の聞き書き。この記録を出そうと考えたのは、鈴木千代氏の次男鈴木正光氏。 群馬県の大農家で十一人きょうだいの長女として誕生した千代氏は十代で家の没落に遭遇する。妹たちや弟たちの世話の傍ら、母や祖母から糸繰りを学ぶ。やがて製糸業の鈴木秀英氏と結婚し5人の子供に恵まれる。戦争での疎開、物資の不足時代には千代氏自身もたくましく“商売”で子育てと生活を守る。子供の成長と独立。地域の婦人会長としての多忙で楽しい活動の日々。やがて孫たちが成長し、いま孫やひ孫に囲まれ、鈴木家一族の中心としてみのり多い毎日を送る。 本書は読売新聞前橋地域版の「ぐんまの本棚」 でも紹介された。(詳細は高橋明紀代ブログへ

(株)鈴正コンサルタンツ様ホームページ http://www.suzusyo.co.jp/


「母ごころ 明治・大正・昭和・平成の世を生き抜いた『私の生涯』」目次

「母ごころ 明治・大正・昭和・平成の世を生き抜いた『私の生涯』」発刊に寄せて

日本創造経営協会 理事長 薄衣岩雄

発刊の言葉

(株)鈴正コンサルタンツ 代表取締役社長 鈴木正光

第1章 誕生から鈴木秀栄との結婚まで

「繭の国」上州に誕生

「父のいない長男」として大事に育てられた父吉三

大正デモクラシーと養蚕・製糸で活気に溢れていた前橋

関東大震災の被災者たちが、高崎線と信越線で続々帰郷

友人の借金保証人となったため家を手放す

母は黙々と畑仕事、子育てや家事は祖母の役目

祖母や母から座繰りを習い、家計を助ける

友人に付き添って初めての台湾への船旅を楽しむ

世界大恐慌で、製糸業界に大打撃

青年団で赤城山、榛名山、妙義山などでピクニック

映画を観るのも楽しみのひとつ

第2章 結婚から終戦まで

鈴木秀栄と結婚

秀栄が私の兄弟の面倒もよく見てくれる

長男の誕生と、祖母リツの死去

政府の統制で釜を買い取られる

次男正光は未熟児。医師の助けもあり、無事成長

秀栄が撚り屋の仕事に失敗し、生活は困窮

秀栄の人柄から、繭の売買の仕事が成功

太平洋戦争開始で、戦時体制の生活に

父吉三の死去で、秀英が借金を肩代わり

秀栄が徴用で横浜へ、私は真綿がけで留守を守る

子供たちが私の作業をよく手伝う

まわりの農家や秀栄の兄から野菜を分けてもらう

毛糸のセーターを作って売って生活を支える

お巡りさんが家に来ると、ご飯をごちそうする

終戦直前、空襲を受けて逃げ回る

徴用先でも、秀栄は人の面倒を見る

空襲で焼け出されて月田村へ

粕川では、こんなよい世の中があるかと思うほどの生活

第3章 戦後混乱期、商売が繁盛し多額納税

終戦後、帰還した兵隊さんから食糧や物資をもらう

戦後、秀栄は商売で大儲け

終戦前に買っておいた繭を売ってお金にする

儲けたお金で家族で温泉旅行

戦後二年で家を建てる

知り合いの伝で船旅を楽しむ

第4章 生糸の商売~秀栄が倒れるまで

新たに製糸の仕事を始める

ナイロンの出現で、製糸業に翳り

子どもたちはのびのび育つ

商売上のお金はすべて秀栄が取り仕切る

秀栄の意外な一面、放浪癖

手形で引っ掛かって、商売上のお金がなくなる

秀栄が脳溢血で倒れる

秀栄は病気のため怒りっぽくなる

第5章 秀栄を看取った後、週一でディケアに通い、孫やひ孫と楽しい交流で過ごす日々

次男・正光一家と城東町で同居。私は婦人会活動に生きがい

思い出多い城東町からの引っ越し

秀栄の介護でてんてこ舞いの日々

父吉三の五〇年忌法要を開催

秀栄の死

大腿骨を骨折するも、リハビリで完治

週一回のディケアサービスが楽しみ

まわりの人が、どんどんいなくなる

子どもや孫、ひ孫に楽しませてもらう日々

鈴木千代の略年表
鈴木家家系図/伊藤家家系図