(株)エビスヤ会長 山岸富二様 著 / 同社社長 山岸健一様 発行
2007.7刊 A5 判 107ページ
戦後18歳で新潟の高田から上京した山岸富二氏は菓子食材商に就職し、新規開拓や営業に懸命に専念。やがて齋藤一江氏と出会い結婚し、一江夫人の実家の製缶業の経営を継承。当時同社の経営状態は厳しかったが、山岸富二氏は営業拡大、新規開拓に全力をつくした結果、念願の無借金経営に。
60歳の時長男健一氏が社長に就任し、富二氏は経営からは一切手を引く。その傍ら、夫婦で12組の縁談をまとめ、山岸家の食卓はいつも若い人たちが集まっていた。一江夫人は「若い人と胃袋でつながっていた」とほがらかに語る。また、一江夫人の絵手紙は多くの人に勇気と喜びを与え続けてきた。2007年山岸夫妻は結婚50年の金婚式を迎え、会社の創立50周年の慶事が重なり、健一社長が本書の刊行を勧め出版となる。
株式会社エビスヤ様ホームページ http://www.tincan-gallery.co.jp/
「福寿草~私の履歴書」目次
発刊にあたって
はじめに
第1章 豪雪の高田で、家業の書店を手伝う
新潟の本屋の次男として誕生
幼い頃より家業の手伝いをする
県立高田商工学校へ進学、終戦を迎える
終戦前後、祖父母、母が次々と亡くなる
高校を卒業、東京に就職先を求める
第2章 製菓材料卸売会社で懸命に働く
製菓材料卸売会社に就職
住み込み小僧として、配達の仕事を始める
新規開拓に奔走する日々
自分なりの営業スタイルを確立
初荷に旗を立てて誇らしげに配達に走る
売掛金の回収で苦労
倫理研究所の朝起き会に参加
妻となる女性、一江との出会い
お世話になった製菓材料卸売会社を退職
第3章 有限会社ヱビスヤを設立
結婚し荒川に新居を構える
家内の従兄が義父の片腕として一〇年間缶屋を切り盛り
結婚後半年で義父が亡くなる
ものがあれば売れた時代。古缶の確保に走り回る
家内は経理の仕事を一手に引き受ける
新潟から若い住み込み従業員を採用
住み込み従業員の世話も家内の仕事
東京オリンピック開催の年、住居を新築
再生缶だけでは間に合わず、新缶も取り扱う
従業員と家族同様の付き合い
荒川信用金庫の総代に
「ゴロゴロ会」を発足し、温泉を楽しむ
メーカーとの取り引き開始
最高利益額を計上
税金やボーナス、設備のために積み立てをはじめる
オイルショックで市場からあらゆるものが姿を消す
父が享年七二歳で逝去
「食缶」には手を出すなと教えられる
数々の失敗を教訓に
十二指腸潰瘍で入院し手術を受ける
社訓を掲げる
念願の無借金経営に
第4章 息子に社長を引き継ぐ
長年支えてくれた義母が死去
家内の実家である齋藤家を次男豊が継ぐ
長男は会計事務所に就職
健一は入社後、人間関係で苦労する
信頼していた部下に裏切られる
健一は新事業に乗り出す
百貨店でヱビスヤの缶を販売
健一は雑貨缶の事業を次々に拡大
健一に社長の座を譲る
会社のことには、一切かかわらないと決断
家内が私と息子の調整役に
新事業で業績悪化
子どもは世間様に育てていただく
会社も人間も中身が大切
第5章 夫婦共に健康で金婚式を迎える
若いときから法人会や信用金庫役員など地域の仕事を引き受ける
「ゑびす会」の思い出
小学校の同窓生に東京案内をする
わが家にはさまざまな人が集まり、家内が手厚くもてなす
十二組の縁談をまとめ、仲人を引き受ける
家内は若い頃からお遍路参りに通う
正月には家内のおせちを囲んで家族が集う
子どもたちに金婚式を祝ってもらう
家内が突然目の病にかかり手術をする
周りの人たちに支えられて歩んで来られた幸せ
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