創業七十周年記念 ひでじまの激動 七十年のあゆみ – さらなる百年企業を目指して –

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株式会社 ひでじま様

発行責任者 代表取締役会長 青木省治様/代表取締役社長 辻 伝治様

2010.3.12刊 A5判 238ページ

本書は東京文京区本郷にある印刷会社(株)ひでじま様の七十周年記念史です。ひでじま様の歴史は、創業者日出島武男氏と夫人フサエ氏が戦前、日出島製版所を日本橋区両国に創立したことから始まります。戦争を挟み、いったんは政府の命令による企業整備で会社を閉じることになります。

しかし、戦後一台の手動の写植機で会社を再開し、いち早く新聞広告製版で高品質、短納期の仕事をして、高い評価を獲得していきます。ひでじま様70周年の歴史は、日出島武男氏とフサエ氏が作った同族会社を、2008(平成20)年に入って、「ひでじま管理資本保有会」が会社の株を買い取り、社員は間接的にひでじま様の株主となりました。そして、非同族会社として、生え抜きの社員で専務でもあった青木省治氏が四代目社長へ就任するという大転換が起こったことで、新たな第二期を迎えることになりました。

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創業者日出島武男氏は誕生後、祖父母に育てられます。やがて十三歳で故郷富山県を出て、北海道の帯広に渡っていた父方の祖父太七郎氏を頼って帯広で暮らすことになりました。1916(大正5)年のことです。

武男氏は帯広新聞社で見習いから始まって組版、印刷、配送などの仕事に従事しました。

やがて、19歳の徴兵検査後、東京に出て、帯広で培ったキャリアを活かし、いくつかの活版印刷の会社、製版所で腕を磨き、いまでいうチームワークによる年上の職人も統括できる工場長として頭角を現すようになります。武男氏の仕事ぶりはお得意さんからも高い評価を得るようになっていきました。この頃の得意先は花王、田辺製薬、三越、主婦の友など優良企業でした。

仕事では安定した職場で、働きぶりも評価されるのですが、最初の結婚では、一女をもうけるものの、光子夫人が病気になり21歳の若さで亡くなっています。

やがて、1937(昭和12)年武男氏は小暮フサエ氏と見合いをし、結婚します。フサエ氏は三井財閥の一員、元三井銀行頭取の小山五郎氏のお屋敷で奉公をし、同家で大きな信頼を得て女中頭になっていました。二人の結婚は武男氏の勤める長瀬製版の長瀬社長夫妻の勧めでによるものでした。

その後、長瀬製版を辞め独立することとなりました。この時フサエ氏は「私も姉さんかぶりで地下足袋をはいて、リヤカーの後押しでも何でもしますよ」と賛同したのです。こうして、1939(昭和14)年武男氏とフサエ氏は日本橋区両国に合資会社日出島製版所を創業しました。創業2~3年間は資金繰りに追われていたが、やがて事業は軌道に乗り始めました。

しかし、1941(昭16)年太平洋戦争が勃発し、経済統制で活字や鉛版などを供出させられ、企業整備により1944(昭和19)年同社は解散させられました。

1945年日本は終戦を迎え、武男氏はフサエ氏と(株)日出島製版所を創立し、新聞広告製版へ乗り出します。フサエ氏の故郷新潟から、森田清司氏を養子に迎え、後々同社を支える幹部に成長していくことになる青木省治氏ともう一人の中学新卒の従業員も採用していきます。それ以前に職人を採用してはいましたが、職人は定着することがないため、理想的な会社経営に発展させていくためには、新卒を住み込みで入れて、技術だけでなく、しつけを厳しく修得させることにしたのです。

しつけの担当はフサエ氏で、技術や仕事の段取りなどを厳しく教え込むのは武男氏でした。この頃武男氏とエーザイ製薬の創業者内藤豊次氏と出会います。この出会いは、後々ひでじま様とエーザイ製薬との深い信頼関係を作ることにつながっていきます。その他、戦前の勤務時代の優良得意先であった花王、主婦の友などからも、続々新聞広告の製版を受注していきます。

一方、従業員教育では、創造経営様の創業者薄衣佐吉氏と出会い、経営指導を受けるようになっていきます。それは、清司氏への承継を念頭においた武男氏、フサエ夫人が望んだ、ひでじまの将来への布石でもありました。

1959年ひでじまは創業20周年を迎え、組版から印刷までの一括受注のため、印刷部門を立ち上げ、早い時期にオフセット印刷の体制を構築します。当時武男氏はテレビの出現を前に、新聞広告製版の事業は将来テレビコマーシャルに替わっていくという予測を持っていたのです。

印刷部門を含め、業績は好調を続け、創造経営様からの指導もあって、従業員教育もレベルアップが進み、従業員による経営計画策定までできるようになっていきました。人事制度、給与委員会など、従業員はしつけや技術だけでなく、経営参画にも積極的な役割を果たしていくように、成長していきました。

すべては順調に進んでいたかのように見えたひでじま様でした。ところが、1973年12月武男氏が富山で倒れ帰らぬ人となりました。当初社内は動揺がありましたが、業務の指揮はすでに清司氏がとっていたこともあり、社長にはフサエ夫人が就任し、この大きな試練を乗り切っていきます。

清司氏は、特に製版組合活動でも活躍し、そこで得た最新の技術の動向を見据え、大胆に新設備、電算写植機第1号を(株)写研から導入します。

以降、旧大蔵省朝陽会の概算要求書、音楽の友社や丸善の洋書リストなど、短納期で高品質の仕事で高い評価と信頼を獲得していきます。1989年昭和天皇が逝去し、平成に年号が替わりました。ひでじまは50周年を迎えました。

1990年清司氏が社長に就任し、フサエ氏は会長に就きました。このころから、製版印刷分野ではデジタル化(DTP化)の潮流が入ってきました。この潮流に対応するには、高額の設備投資が必要でした。清司氏は果敢に、この課題に取り組み、業界でも早い時期にDTP化体制の構築に着手していきました。

平成に入ると、バブル経済の崩壊や金融政策の引き締めもあって、経済環境は不況期に突入していきました。好業績を成長を続けていたひでじまも、この不況の影響から、価格低下、受注減少などにより収益に陰りが出ます。業績回復のため、新規開拓に注力しますが、これらの顧客の倒産が続き、新規開拓が裏目に出るという苦境に陥ります。

そういう中で、新たにWEBコンテンツやデータベースを手がけている過程で、製薬業界への足掛かりをつかんでいきます。この薬業部門への進出は、後年ひでじまの主要事業に発展していくのです。

1998年生涯ひでじまを愛したフサエ夫人が90歳で亡くなります。悪いことは重なり、以前脳梗塞で体調を崩していた清司社長の病状が、この年を境に悪化していきます。

やがて、清司氏は病床から青木省治氏(当時専務)にひでじまの社長に就任するように懇請されるようになります。

しかし、ひでじまの資産や株式は日出島清司氏や、養女が所有する同族会社でした。従って、すぐ青木氏が社長を継承するという風には進まなかったのです。

青木氏は、従業員や得意先を守るためには、会社を存続をさせたいと願うのですが、どういう手順で、日出島家やその親戚の方や社員、得意先、金融機関から合意を得られるのか、たいへん苦悩します。

そして、創造経営の薄衣会長に指導を仰ぎます。詳細は、本書に譲りますが、薄衣氏は厳しい条件を示し、鈴木常務、辻部長とその夫人たちがひでじま存続のために協力するという決断があるなら、ひでじまを非同族会社として、再スタートさせる道はあると。青木氏たちは、厳しい条件を了解し、存続のために協力体制を構築する決断をしました。こうして、日出島家が所有していた(株)日出島の資産を社員の持株会社である「ひでじま管理資本制度保有会」で所有する形態になったのです。 以降、創造経営様の中期計画策定の指導などを経て、社名を「株式会社ひでじま」に変更します。こうして、ひでじま様は徐々に新たな青木社長体制が固まっていきました。

2007年戦後再スタートを切った思い出の多い本郷の二階建て木造家屋の本社を売却し、その代金で現向島事業所を購入し、新設備も導入していきます。

一方、得意先も先に述べたように、薬業部門を中心に新しい事業の柱が強固に育っていきます。

2009年ひでじまは創業70周年を迎え、青木社長は会長に就任し、辻伝治専務が五代目社長に就任しました。リーマンショックや出版不況など、ひでじま様の経営環境は決して良好ではありません。しかし、70年という歴史の中でいくたびも試練に遭いながらも、その度に乗り越えてきたのです。

それは、ひでじま様という企業が持つ生命力であります。苦境や困難に直面した時、その都度不思議に周囲の人からの力強い支援を得ています。また、高い技術力と人間性を重視した社風の集団の力は、同社の車の両輪として力強く機能して来ました。

いま、ひでじま様は次なる100年に向けて、新たなスタートが始まっているのです。

株式会社ひでじま様ホームページ http://www.hidejima.co.jp/corp/

創業七十周年記念 ひでじまの激動 七十年のあゆみ
– さらなる百年企業を目指して – 目次

第I部 ひでじま創業までの布石-創業者日出島武男の修行時代

第1章 孤独な少年時代。早々独り立ちを決意

第2章 北海道の帯広新聞社で修行し、独り立ちへの足掛かりをつける

第3章 夢を求めて上京し、活版製版で頭角を現す

第II部 ひでじま創業-社員が安心して働ける職場を目指し、新聞広告製版業を起業

第4章 念願のひでじま創業

第5章 終戦の混乱の中、早い時期に製版事業会社を再開

第III部 ひでじま隆盛期業-大手優良クライアントの信頼を得、急成長を遂げる

第6章 新聞広告製版業へ進出し、成長路線へ

第7章 写植から印刷までの一貫体制を確立し、大きく飛躍

第IV部 ひでじま革新のとき-業界大変革期の中、新たなひでじまの誕生

第8章 創業者社長急逝の試練を越え、次代へ継承

第9章 創業五十周年を迎えての再出発

第10章 創業百年へ向けてゴーイングコンサーンの礎をつくる