(株)三幸社エンジニアリング 代表取締役社長 兼
グループ最高経営責任者 打越満幸様 著
(株)三幸社 代表取締役社長 打越裕介様 発行
2008.4刊 AB判 133ページ
打越満幸CEOと真佐子夫人(副社長)は、中野区内などで繁昌していたクリーニング店経営から、思い切ってクリーニング機械の開発・製造・販売へ転換を図って30年。
いまでは、国内だけでなくアメリカ、韓国、オランダと同社の機械の販売市場は拡大した。
一方、徹底した無駄の廃除と生産性のアップも実現し、昨2007年9月念願の無借金経営を実現し、スタンダード&プアーズによる日本SME格付けを取得した。
さらに打越夫妻の三人の子息である裕介氏、圭介氏、大介氏は同社でそれぞれ経営全般、営業、設計・製造を担当して、次期経営陣の体制づくりが固まった。
本書は好きなものづくりへの事業転換をして、30年の足跡をまとめ、本年4月の30周年を記念して出版された。
(株)三幸社エンジニアリング様 ホームページ http://www.sankosha-mfg.com/
「水が出るまで、井戸を掘る 好きなものづくりで30年」目次
発刊の辞(11P)
第1章:クリーニング店の経営を経て、機械メーカー設立への礎を築く(17P)
戦中戦後、極度の食料不足を体験した小学生のころ(18P)
“畳表をのせたキルク草履”をヒットさせた発明家の父(20P)
17歳で兄の機械製作会社を手伝うが、倒産(23P)
失意の兄弟に“クリーニング店ならやれる”というアドバイス(25P)
業界で画期的であった“3M方式”を思い切って導入(28P)
作業風景を見せる店づくりで、宣伝効果を狙う(32P)
自動ドアと冷房完備で、瞬く間に繁盛店に(36P)
独自の店舗設計で、こだわりの店づくり(38P)
こだわりの店作りからオリジナル小道具が誕生し、商品化(39P)
第2章:ものづくりを本業とし、三幸社を創業(43P)
閉店・夕食後、クリーニング機械の改良に取り組む(44P)
高温多湿の蒸気を活用したスチームキャビネットの改良と製品化(46P)
オイルショック到来でお客さまが激減(49P)
周りの反対にもかかわらず、機械づくりを本業にすることを決断(52P)
「独自のアイデアで勝負する」という当社のものづくりの原点となった体験(54P)
家内や子どもたちに支えられ、多忙な業務を必死でこなす毎日(55P)
八王子市上柚木(かみゆぎ)に、初めての自社工場建設(58P)
「サンフォーマー」のヒットで、一挙に全国にディーラー網を構築(61P)
従業員の確保に悩まされる(64P)
サンフォーマーの浸透とともに、品質問題がクローズアップ(67P)
念願のワイシャツ立体仕上機を開発し、完成(68P)
安くて早いワイシャツクリーニング機の導入で、赤字要因の季節変動を解消(71P)
第3章:八王子市叶谷町(かのうやまち)に自社工場を建設、大きな飛躍を遂げる(75P)
八王子市より工場建設用地についての指導を受ける(76P)
偶然が重なって、八王子叶谷町(かのうやまち)に自社用地を取得(77P)
新工場移転で、設備をすべて新規入れ替え(80P)
メインバンクの反対を押し切って、北米進出を決断(85P)
アメリカ進出にそなえ、54歳で英語の勉強を始める(89P)
待ち望んだ北米進出を果たす(91P)
アメリカ生活の経験を持つ次男の入社で、世界市場への展望が開ける(94P)
オランダ進出で予想外の苦戦を強いられ、2年で撤退(96P)
アメリカ支社でトップ交代(99P)
第4章:一大改革を断行、新たな三幸社の基盤を再構築(101P)
平成不況をリストラをせず何とか乗り越える(102P)
“捨てる文化”を徹底させ、根付かせる一大改革に取り組む(104P)
外注塗装をやめた結果、内製率95%に(109P)
ISO基準をしのぐ品質管理体制を構築(112P)
時代の流れとともに、変化するお客さまのニーズに、徹底して耳を傾ける(114P)
第5章:多くの人々、さまざまな偶然に支えられた30年(119P)
好きな仕事だからこそ、続けてこられた30年(120P)
両親からの「贈り物」に感謝(122P)
クリーニング店の役に立つことが、当社の成長につながる(123P)
展示会出展へのこだわり(125P)
無借金経営となって30周年が迎えられた喜び(127P)
創業世代から2代目へ(130P)
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